moto Moriniの創設者アルフォンソ・モリーニは
イタリアに生まれ青年時代は4輪車のメカニックとして働き
週末はモーターサイクルレースの常連の中に入っていた。
25歳の年、彼はボローニャ、ナポリなどの4つの大きなレースを優勝し
一躍脚光を浴びることになる
そして彼のモーターサイクルが”自作車”であったことも知られた。
1927年(昭和 2年)モンツァでスピード記録に挑戦したアルフォンソは
6つの世界記録樹立に成功する
そして、そのマシンは "モリーニのモーターサイクル"
すなわちモト・モリーニと呼ばれるようになっていった
自らのレコードホルダー車の量産が始まるのは、
その資金や販売をマッティ商社が引き受けたことに発する
それがmoto Morini の前身 "MM" ブランド車である
1937年にはボローニャ市に工場も建ちアルフォンソは独自のバイク作りを進めてゆく
第二次大戦後、正式に会社組織となり moto Morini社が登録され
軽量級のメーカーとしてスタートすると、同時にレース部門が作られ
本格的にレースへの参加が始まる
1948年 moto Morini のコンペモデルの第1号車は
軽量級に有利な新しい技術の2ストローク125ccだった
当年のメーカータイトルは4ストロークのFBモンディアル
1949年(昭和24年)インターナショナルレースは
グランプリレース(世界選手権)と名を変え新しい時代に突入する
モリーニは 2ストローク・125ccエンジンを基に
カムシャフトをつけた SOHC・4ストローク・12PSで
GPの125クラスに挑戦する。この年も
FBモンディアルが優勝、その後しばらくタイトルを独占する
メーカーの特徴では、純粋レース屋系のFBモンディアルや
勝利のコレクター的なMVアグスタとも違い
モリーニ社はこの頃多くのモーターサイクルを比較的入手しやすい価格
で販売したことがイタリアの2輪界の底辺の充実に大きな役割を果たしている。
同社の一番のスポーツモデルのレベロという名の175cc、チェーン駆動
DOHCのGPレプリカも有名である。
1957年からは今度は250ccマシンを作り上げ、
このクラスに専念して、厳しいレースを続けて行き
後年FBモンディアルなき後に、イタリアの誇るGPレーサー・プロヴィーニ
とともに伝統的なシングルシリンダーエンジンのハンデを乗り越えて
MVアグスタの2気筒エンジン車、さらにその後に登場するホンダ他の
日本車との戦いでモリーニは世界ランキング2位を獲得するのである
(1963年(昭和38年)モリーニ最後のGP参戦の年)
この車両はイタリアでメンテナンスされた状態で個人輸入されました
ゼッケンはクラブイベントに参加した時の物です、
レーサーではありません、
しばらくエンジンをかけてないそうですが、保管状態は良好です
バイクが増えた為、保管場所の理由により譲ることにしたそうです。
車両は千葉県にあります、個人の為消費税はかかりません。
以上の記事内容は、オーナーさんのコメントをもとに作成したものです。
整備履歴、修復暦などに関しては、バイク見聞録で裏づけを取ったものではありません。
SOLDOUT
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