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MORINI TRESETTE 1960 年式
保険
無し
走行
不明
備考
通関証渡し
長さ
0000mm
000mm
高さ
0000mm
重量
000kg
排気量
175cc

取材日2005年5月8日

moto Moriniの創設者アルフォンソ・モリーニは

イタリアに生まれ
青年時代は4輪車のメカニックとして働き

週末はモーターサイクルレースの常連の中に入っていた。

25歳の年、彼はボローニャ、ナポリなどの4つの大きなレースを優勝し

一躍脚光を浴びることになる

そして彼のモーターサイクルが
自作車であったことも知られた。

1927
年(昭和 2年)モンツァでスピード記録に挑戦したアルフォンソは

6つの世界記録樹立に成功する

そして、そのマシンは
"モリーニのモーターサイクル"

すなわちモト・モリーニと呼ばれるようになっていった

自らのレコードホルダー車の量産が始まるのは、

その資金や販売をマッティ商社が引き受けたことに発する

それが
moto Morini の前身 "MM" ブランド車である

1937年にはボローニャ市に工場も建ちアルフォンソは独自のバイク作りを進めてゆく

第二次大戦後、正式に会社組織となり moto Morini社が登録され

軽量級のメーカーとしてスタートすると、同時にレース部門が作られ

本格的にレースへの参加が始まる

1948 moto Morini のコンペモデルの第1号車は

軽量級に有利な新しい技術の
2ストローク125ccだった

当年のメーカータイトルは
4ストロークのFBモンディアル

1949年(昭和24年)インターナショナルレースは

グランプリレース
(世界選手権)と名を変え新しい時代に突入する

モリーニは
2ストローク・125ccエンジンを基に

カムシャフトをつけた
SOHC4ストローク・12PS

GP125クラスに挑戦する。この年も

FBモンディアルが優勝、その後しばらくタイトルを独占する

メーカーの特徴では、純粋レース屋系のFBモンディアルや

勝利のコレクター的な
MVアグスタとも違い

モリーニ社はこの頃多くのモーターサイクルを比較的入手しやすい価格

で販売したことがイタリアの2輪界の底辺の充実に大きな役割を果たしている。


同社の一番のスポーツモデルのレベロという名の
175cc、チェーン駆動

DOHCGPレプリカも有名である。

1957年からは今度は250ccマシンを作り上げ、

このクラスに専念して、厳しいレースを続けて行き

後年
FBモンディアルなき後に、イタリアの誇るGPレーサー・プロヴィーニ

とともに伝統的なシングルシリンダーエンジンのハンデを乗り越えて

MVアグスタの2気筒エンジン車、さらにその後に登場するホンダ他の

日本車との戦いでモリーニは世界ランキング
2位を獲得するのである

1963年(昭和38年)モリーニ最後のGP参戦の年)

この車両はイタリアでメンテナンスされた状態で個人輸入されました

ゼッケンはクラブイベントに参加した時の物です、

レーサーではありません、

しばらくエンジンをかけてないそうですが、保管状態は良好です

バイクが増えた為、保管場所の理由により譲ることにしたそうです。

車両は千葉県にあります、個人の為消費税はかかりません。

以上の記事内容は、オーナーさんのコメントをもとに作成したものです。

整備履歴、修復暦などに関しては、バイク見聞録で裏づけを取ったものではありません。


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(イシイ)

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